野呂一郎の 大学に行こう!

新潟経営大学で経営学を教える野呂一郎です。 大学の経営学ぅ?つまんないんでしょ、役に立たないんでしょ?って?ううん、それじゃ今時誰もついてきてくれないから面白いことやってるよ。高校生の皆さん、みてね!

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ナウエコノミー・メルマガ発刊のお知らせ

さて、このたび、拙著「ナウエコノミー 新・グローバル経済とは何か」
の読者の方々に向けたサービスとして、メルマガを発刊いたしました。
読者の方でなくても、ナウエコノミーという新しい経済にご興味のある方
でしたら、是非ご覧いただければと思います。

もしよろしければ、下記のサイトでご購読の登録をいただければと存じます。
もちろん無料です。

http://www.mag2.com/m/0000234593.html

現在、ご挨拶、第1号が発刊されております。

ナウエコノミーWeb版に是非、ご期待ください。
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ネットカフェ難民問題と大学?

「難民」でなくて「自由なる市民」か
しかし、このネット難民、自分で”難民”達がこうしたライフスタイルを選んでいるとしたらどうだろうか。この場合、これは資本主義の自由さがもたらした、選択であり、これをとやかく言えはしない。ある意味で、こういうライフスタイルが生まれるのは、自由という意味では健全な証なのかもしれない。だから、ネットカフェ難民などとマイナスのイメージで呼ばれることを、不愉快に思っている”難民”もいるかもしれない。こういうことは頭に入れておいたほうがいいだろう。マスコミが勝手にイメージを操作しているかもしれないのだ。しかし多くのネット難民が「足を延ばして寝てみたい」といっているところをみると、自主的に選んだライフスタイルというのはごく少数派だろう。

年齢社会の壁を切り崩さないと
野呂は、就職がしあわせを決めるわけではないといった。しかし、現実の日本では、何かウルトラC的なものを持たない限り、いわゆる上へ行くキャリアアップができない。基本的に敗者復活はむずかしい。年齢社会という見えない壁を何とか切り崩していくしか、就職という基本的人権を守る方法などないように思えるのだが。

ブログ休載のおわび
6月いっぱいまで、このブログを休載させていただくことにしました。理由は、新潟経営大の入試広報委員長を命じられ、6月末までに大学案内(パンフレット)を完成させるという、無理難題な至上命令が下ったからであります。そんなことで、読者の皆様、ご容赦くださいませ。
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ネットカフェ難民問題と大学?

格差是正など実はやる気のない政府
そう、敗者復活のない日本の社会が問題だ。たった1,2年、社会に出るのが遅れるだけで、あたらよい才能が埋もれてゆく、ネットカフェ難民になる。この社会の損失を、ただぼっと見ているだけの安倍政権。しかし、そういう人々を福祉という財源で助けるわけにはいかない現実。日本の債務超過は計り知れない額に達しているからだ。そして、経済学の原則どおり、保護すれば競争がなくなる。競争心をあおらせるのが資本主義の鉄則なので、政府は格差是正などと表向きは言っているが、敗者は敗者のままでいいと思っている。

ネット難民は社会的損失
野呂の論点は、適材適所ということだ。いい人材がチャンスを与えられていない現実。おそらくネット難民の若者は、心も身体もゆとりがなく、長期的な視野にたって、自分のキャリアを考えることができない。まずは半年、人間らしいねぐらを提供して、キャリア相談に乗ってあげることだ。要はホームレスの方々を社会復帰させる考えと同じだと思う。ネット難民がホームレスのかたちをとっていないことで、政府も動かないのではないか。若者の失業問題という以上にこれは重大な問題だ。有為な若者がキャリアを考えられずにいることは、社会にとって大きな損失だからである。

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ネットカフェ難民問題と大学?

ベンチャーはアメリカ人にとって自然な選択肢
ガキのころから、株への投資を覚えさせられ、大学生になれば自活を余儀なくされ、おとなになっても、自分の財産は預金などに頼らず、投資して利ざやで増やす、などというメンタリティをもっている平均的アメリカ人と、気がついてみればサラリーマンになるしか選択の余地がなく、定期預金の利率が上がったといって大喜びしている平均的日本人は、そもそもビジネス・チャレンジャーとしての能力や資質が違いすぎる。実際野呂がアメリカで教えた学生も、ごくごく気軽に起業するのをみて、驚いたことを思い出す。

日本の大学もベンチャー教育を本格化せよ
「国家の品格」を書いた藤原先生には怒られそうだが、ベンチャーで国家の国民総生産を上げたいのならば、アメリカ並みの弱肉強食教育が、カネを増やす教育をさせないといけないのかもしれない。大学も、起業に関する授業は、そろそろ全面的にやるべきだろう。ネットカフェ難民の皆さんも大卒の方も大勢おられるように見受ける。大学は何を教えたというのだろうか。“ナウエコノミー”にも書いたが、アメリカの大学でのベンチャー教育はいよいよ本格化しつつある。これがアメリカの国力を支えているのは間違いない事実だ。

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ネットカフェ難民問題と大学?

追い風は吹いている起業だが・・
就職、職を得るというのは、基本的人権のひとつであり、実際われわれにとって、現実感あふれる、シビアな問題だ。仕事とは、人生そのものといっていい。ネットカフェ問題の続きだが、就職にあぶれたら、じゃあ企業なんてあてにせず起業しろという意見はどうだろうか。今は、昔と違って、起業する環境もそうとうに整ってきた。ビジネスプランさえしっかりしていれば、銀行もカネを貸すし、市町村も経済の活性化が死活問題だから、資金を低利で貸す用意がある。ベンチャー育成は国の方針でもある。

日本で起業するというむずかしさ
しかし、アメリカと違うところは、民間の投資家が少ないことであり、大きい企業でないと社会の信用がなかなか得られないところである。アメリカにはエンジェルという、将来性のあるビジネスプランには、喜んで投資をする人々がいる。起業には税制の優遇もある。チャレンジを応援する社会の価値観もある。日本はまだまだ、そういう環境が整っていない。ホリエモンの一件が象徴するように、ベンチャーに対しての偏見はまだまだ相当根深いものがある。
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ネットカフェ難民問題と大学?

形式にとらわれるからいい人材を採れない
リクルートスーツを着せて、おとなのまねをさせ、マニュアル通りの礼儀を強いる。しかしそんな形式ごっこをやっているから、企業はいい人材を採れないし、大学は学生が本当に行くべき企業に学生を送り込むことができない。企業も大学も、もっと学生を素っ裸にさせて、より人物を見るようなカタチに持っていかないと、企業も学生も、そして大学も不幸だと思うのだが。

適材適所がない日本経済
だからの、あえての、素っ裸。リクルートルックなど廃止し、成績表持参強制もやめたらどうか。適材適所という、経済成長の大原則が、ネット難民の若者たちをみるにつけ、全くできてないのが日本の社会だと痛切に感じる。別にいまどき、こんな意見は過激でもなんでもないだろう。
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ネットカフェ難民問題と大学?

リクルートスーツは禁止にしろ
企業に言いたい。学生の就職ガイダンスや面接で、リクルートスーツを着させるのはいい加減にやめろ。礼儀や、挨拶ができないからといってマイナス評価をするな。大学にも言いたい。いわゆるテクニックに走る、要領だけを教える就職指導はやめろ、と。

企業よ、インスタントのお辞儀にだまされるな
礼儀や挨拶がどうでもいいとはいわない、それは人間性の根幹の部分で、小学生になればできていることが好ましい。面接での受け答えも、いわゆる好ましいモデルというのがある。それは否定しない。大学の就職指導も、そんな企業の好みを知り尽くしてやっているわけで、その効果のほどを疑うわけではない。

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ネットカフェ難民問題と大学?

キミの将来性は誰も見抜けない
しかし現実は、18歳の、22歳の皆さんが持っているのは、ただ、社会における経験が少ないという事実だけだ。そして、高校時代、大学時代の経った数年の、時としてやらされただけの科目を、テストだけで評価された成績表だけである。企業が、たとえ、キミの人物をよくみてくれたとしても、将来性まで判断できるというのは、明らかに言いすぎだ。だから、就職で評価されなくても、よいのだ。

就職が失敗したキミは将来性がある
野呂はそういう、就職で評価されないような学生こそ、非常に将来性を感じる。そういう学生は、自分を表現することが苦手だ。要領がよくない。大学の就職課は、そういう子たちが不利だとわかっているから、インスタントな面接のコツだとか、礼儀などを教え込むわけだ。こんなことにだまされるのが企業でもある。野呂の経験から、すばらしい学生が希望の就職ができていないことがあまりにも多い現実をみると、総じて、企業の人事は眼力が本当にあるのか疑う。逆にいうと、成績をそろえ、優等生ぶれば、いい子ぶれば、就職はいわゆる、いいとこへいける。

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ネットカフェ難民問題と大学?

人事のプロもしょせん人間
企業は、果たして、人材の潜在能力を見極める力があるのだろうか。人材担当者、人事のプロ、と自称する人のなかには、そのとおり、俺たちは人材の目利きだ、と自慢する人たちが少なくない。野呂は、ちょっと待てよ、といいたい。彼らは面接ですべてわかる、と豪語する人たちである。面接で、皆さんのことをすべて見抜くというのだ。ある意味、人間の潜在性というのは、話し方や、立ち居振る舞い、人との応対の仕方、今まで何をやってきたかなどでわかるというのは事実だ。

人間は変わるという事実
しかし、人間は変わるものだ。大卒後、苦労に苦労を重ねて、その人の本当の味が出てくる。執念で勝ち取った契約や、お客に罵声を浴びせられて重ねた年月が、その人の本来の資質や根性を育てる。一念発起して、会社を辞めて3年勉強を重ねて獲得した資格が、自分に大きな自信を与える。そんな、これからのキミたちの変化などは、予見することはできない。

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ネットカフェ難民問題と大学?

いまだに古い企業の価値感
しかし別に優の数が多ければ、優秀などということはないのはもちろんだ。むしろ、興味のない科目は、それなりの勉強しかしない、という態度だって、今の世の中、大学生としては正しい態度である。このことは、野呂の主張する新しい経済論=ナウエコノミーという視点に立てば全く正しい。なぜならば、これからの世の中は、過去の成功法則や、経済、経営の方程式を覚えたって意味がないからだ。大事なことは、新しい環境を知り、自分の頭で法則や方程式を考え出す能力であるからだ。しかし、現実は、就職において企業が要求する価値は、非常に古く、保守的だということ。これは覚えておいてほしい。
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手間をかけられないという企業の現実
これはある意味で、もちろん、間違っている。野呂は大学で人的資源管理とやらを教えているから、人的資源つまり人材こそ、企業の命であり、すべてであると力説する。それがこんな手抜きでどうする。表面的な学校歴とか、優の数だけで決める企業は将来性がない。しかし、現実には手間をかけられないのも事実。だから、皆さんはよくこのことを頭に入れておいたほうが、こと就職という現実では有利だ。野呂も大学生の皆さんに泣く泣く言っている。「優の数を、悪いけれど、そろえておいてくれ」と。
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ネットカフェ難民問題と大学?

優の数は多くしとけ
この手の「手抜き」は当たり前であり、企業では必要悪として、現実的であり、恥ずかしいことではないという空気すら流れている。似たようなものに「優の数」というのがある。成績証明書の優(A)の数で選ぶわけである。優(A)が20個以上の学生しかとらない、というわけだ。これも企業としては、選抜のプロセスをカンタンにしてくるから、手っ取り早く採用が終わるから都合がいい。悲しいながら、大企業がみんなを採用するときの現実って、こんなものではないだろうか。
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まだ残る「指定校制度」
年齢ピラミッドとは、日本社会特有の先輩後輩秩序、上下秩序が年齢をその根本としているという事実に由来することは間違いないだろう。それがネットカフェ難民を生み出している。もう一つは、企業の怠慢だ。ソニーなど一部の大企業が、いわゆる「指定校制度」を廃止していることは周知の通りだ。指定校制度とは何か、それは、大企業のある意味の本音、「この大学出身以外の学生はいらない」である。

学校名主義も企業の立場からは合理性がある
もうそんなのは事実上ない、という指摘もあるが、どうもそうではない。学校名だけ見て、選別する。こんな安易な人材選抜方式が、今もある。なぜか。それは例えば、大企業などには、何千人の応募者が殺到する。履歴書みるだけでも、人事部員だけでは追いつかないから、他部署の応援も現実に必要になってくる。昨年入社したばかりの新人社員が、履歴書をチェックする場合すらある。現実に手間をかけていられないのだ。そうしたらどうするか。学校名だけで決めれば、手っ取り早いというわけだ。

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ネットカフェ難民問題と大学?

”集団就職“という日本の掟を破ると・・
読者の大学生、高校生の皆さんは、「有能であれば、世の中が見落とすはずはない。今の世の中、ホリエモンみたいに起業だってできるではないか」そう、反論するだろう。しかし、世の中というのは、昔から保守的なものなのだ。その他大勢に従わず、”集団就職”しなかったような人間には、冷たい。

就職はできるだけ3年のうちに決めろ
その集団就職も、なるべく3年生の時期に決まったほうがいいというのが、昨今の現実だ。僕の友達の大学生の皆さんのなかには、4年になってまだ就職が決まらないけれど、有能な見所のある人材はたくさんいる。しかし、一般的にいうならば、「就職は早い者勝ち」の世界だ。卒業してマッチした就職がないとなると、とたんに人材価値が落ちる。ネットカフェ難民は、ズバリ、日本企業の、いや日本全体をおおう文化が作っていると指摘したいのだ。

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ネットカフェ難民問題と大学?

“就職留年”が難民を生む?
第二新卒という言葉が、就職用語になってもう20年も経つだろうか。就職して3年から5年くらいキャリアをつんで、新卒と同じ土俵で、再び就職戦線に参加できる世代である。しかし、この第二新卒とて、前職でよほどの実績を残すか、簿記2級以上程度の”資格“とやらを携えていなければ、問題外として採用されない。高校卒であれば18歳、大卒であれば、人材としての22歳がプライムヴァリュー(最大価値)であるという事実は、野呂がかつて大学生であった時代と、寸分変わらない。その理由は年齢ピラミッドという日本固有の”文化“が変わらないからであることは、お伝えしたとおりだ。ネットカフェ難民を伝えるテレビの報道で伝えられる若者たちをみていると、1,2年の差で企業に無視されたケースがそうとう多いだろうことは、容易に想像がつく。
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ネットカフェ難民問題と大学?

かつては終電乗り遅れのオアシスだったが
ネットカフェ。漫画も読み放題、インターネットも使い放題、ジュースも飲み放題、24時間開いているから、いつでも気軽に利用できる。少し前までは、ネットカフェは、終電をつかまえ損ねた若者が、始発電車で自宅に帰るまでの、数時間を過ごす場所だった。カプセルホテルしか夜を過ごすしかなかった若者は、ネット時代のこの安あがりなスポットをありがたがった。しかし、いまやネットカフェは、一晩1000円の常宿になった。イヤ、最近は、24時間営業のマックなどで100円コーヒーをもらい、そのままテーブルに突っ伏して一晩の眠りを取る、”100円難民“のほうがポピュラーになっているらしい。

”年齢ピラミッド“がネット難民を生む
帰る家はない。また、アパートの家賃が払えずに、ネットカフェ生活を余儀なくされる。アパートの家賃を切り詰めて、学費に当てる若者もいる。いや若者だけではない、50代のネットカフェ利用者も珍しくないという。世間は、この現象を新しい格差社会の到来だと言う。野呂は、就職の話の冒頭でかつて申し上げたように、これは、日本の”年齢絶対社会“に由来した現象だと思うのだ。つまり、日本という社会は昔から、ある年齢で社会のなかにポジションを持っていないと、その後いくら頑張っても、浮かび上がれないような構造になっているということである。

その年齢とは、18歳と22歳である。

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プロフィール

野呂一郎

Author:野呂一郎

1957年札幌市生れ、上智大学法学部卒業。
米国エッジウッド大学大学院経営管理研究科修士課程修了、MBA。
(財)社会経済生産性本部認定経営コンサルタント。
(社)日本能率協会国際部、米国エッジウッド大学講師、
米国Information Resource Systems Inc. リサーチャー
千葉商科大学非常勤講師等を経て、現在 新潟経営大学教授。
また、英国国立ウェールズ大学大学院MBAプログラム教授として
社会人MBA教育にも携わる。
昨年上梓した「ナウエコノミー 新・グローバル経済とは何か」では、2000年からは、これまでのニューエコノミーが“ナウエコノミー”に変わったと論じ、すべての日本企業に改革を迫っている。

その他の著書:
「HRMとは何か」(多賀出版)
「食品の経営学」(共著、学文社)
「プロレスの経済学」(オーエス出版)
「実践経営学」(共著、学文社)

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